震災から1ヶ月経ちました。
このブログは地震から1ヶ月ほど更新が停止していました。
あの日から私たち家族の生活環境も大きく変わり、慌ただしい毎日が過ぎていきました。
でも、季節も春になって、ようやく落ち着いてきたことからブログの更新を再開します。
3月11日。
2ヶ月半になる娘の初めての1泊旅行で、新浦安に向かう途中の東京駅のプラットフォームで地震にあいました。
目の前でコンクリートが崩落し、家族を守ることで精一杯でした。その日は、新浦安には向かわず(向かえず)、娘を抱えたまま3時間半かけて歩いて帰宅しました。
帰宅難民となった人たちの列に紛れて歩いているときは気が張っていたのですが、帰宅後にどっと疲れが出て10日ほど微熱の状態が続きました。震災の被害や原発のニュースを見て、精神的なストレスを感じたのも問題だったかもしれません。
そういうわけで、なかなかブログの更新に意識が向かいませんでした。
これだけでも精神的にきつかったのに、実際に大きな被害をあわれた方の状況を思うと胸が押しつぶされそうになります。
目まぐるしく状況が変化した1ヶ月でしたが、その中で個人的にいくつかの「変化」がありました。
おそらくこの「変化」が、これからの私の意識に大きく影響するだろうと感じています。
■生活の変化
個人的なことですが、一時的に生活の拠点が東京から大阪に移りました。
計画停電などのリスクを考慮して拠点の分散化を図る会社方針の一貫で、3ヶ月の子供と妻と一緒に大阪での生活が始まりました。
一ヶ月前には全く想定していなかったことです。
私自身、観光以外で関東を出た経験がなかったので、何もかもが初めてのことばかり。準備作業に追われていましたが、新しい経験が新しい気づきをもたらしてくれています。東京で「当たり前」と思っていたことが、ここでは決して当たり前ではない。逆に東京では想像できないものが、ここでは普通に営まれている。大学生の時に大阪から東京に来た人たちが19歳で経験していることを、35歳になる年に経験しているところです。
■ノマドワーキング感の変化
新しい環境の中で、自分の中のノマドスタイルも変化しつつあると感じています。私としては、「変化」というよりも「深化・進化」と捉えたいと考えています。
いまも、この文章を妻を病院に送った待ち時間に車の中で書いています。東京と違って、大阪の郊外は車社会。電車とバスで簡単に移動ができてしまう東京とは別のワークスタイルがあるわけです。
しかし、逆に環境が違っても東京と同じインフラを使うこともできます。例えば、イーモバイルやiPhoneは普通に使えますし、スカイプがあれば世界中の人たちと無料で話ができます。また、クラウドにデータを置いておけば、東京から荷物を大量に持ち運ばなくても、いつでも必要な資料を引き出すことが可能です。
頭では理解できていても、今回のように実感できたことの意味は大きいと思っています。海外でノマド的に仕事をしたことは何度もありましたが、逆に国内ではそういう機会が少なかったので気付かされることがとても多いです。
■ライフスタイルの変化
福島第一原子力発電所の事故以来、私の周りではライフスタイルを変えたいと意識する人たちが増えました。電気を大量に消費するモノに囲まれながら、その環境を当たり前と思っていた日常から、「これはほんとうに自分に必要なの?」と問いかける生活に変わりつつあると思います。
「当たり前」と思っていたものを問い返す。
それは自分自身、何がしたいか、どんな生き方をしたいかを常に考えて暮らすことにつながることでしょう。
日々の暮らしの中でつい忘れがちですが、常に自分自身を問い返すことが仕事をする上でも生きてくるものだと感じています。
「当たり前」を疑って、私自身の生き方や、それを取り巻く社会のシステムのあり方を常に進化させていくこと。もう一つのより良い社会にむけて、想像力や構想力をみんなで醸成していくこと。
沢山の悲しい出来事がありましたが、それを乗り越える一つのきっかけがそこにあるような気がしてなりません。
先日、妻と娘と一緒に小さな公園に咲く桜を見に行きました。
娘にとって初めて見る満開の桜。
来年も、再来年も同じような穏やかな気持で、春のこの季節を向かえられるように。